どう考えても岡本太郎に賛成である

takahiro suganuma ill004

過去に自分に影響を与えたもの。音楽、映画、本など、いろいろあるけれど、はっきりと自分を変えた瞬間が思い出せるものがある。

24歳になりたての秋の始まりだったと思う。会社の昼休みに本屋に立ち寄って、何気なくその本を手に取り(というより、タイトルに惹かれたのかもしれなけど)一ページ目をめくってみて、文字通り雷に打たれたようになってしまった。本当に、大袈裟じゃなく頭の中に閃光が走った。

他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。

『強く生きる言葉』岡本太郎

岡本太郎の過去の発言や著作から言葉を抜きだした『強く生きる言葉』という本だった。そんなにストレートに心を鷲掴みにされたのは初めてだった。人によっては当たり前の言葉かもしれない。でも僕にとっては、それまでの自分の価値観には出てこない言葉だった。迷わずその本をレジに持って行っていた記憶がある。

仮に「他人に笑われてもいい」という言葉だと、「他人から見た自分」という他人本位の目線にとらわれがちな気がする。それよりも自分を軸にした視点で、自分に軸があれば他人が笑おうが笑うまいがそんなことは全く構わない、ということだと僕は解釈している。

そうして、僕がこの言葉に出会って何が変わったのかというと、文字通り曲を作って自分で歌うことにしたのだ。

それまでは、とりあえずギターを弾いていたので、バンドに参加したり、メンバーを集めてバンドを組んだりして(どれも長くは続かなかった)、なんとなくバンドができればいいかと思っていた。

そんな中、岡本太郎の本に出会って衝撃を受け、すっかりやる気が変わってしまった。文字通り自分で曲を作って録音し、ジャケットの絵を描いて音源(CD-R)を作り、歌い、一人でライブをやり始めた。

はっきり言って、端から見たらみっともないような、かっこ悪いような活動だったと思う。お客さん0人のライブハウスで、店長だけの前で演奏したこともあるし。でも今考えると、本当にやってよかった。とてもしてよかった経験だと思う、間違いなく。

そして、当時勤めていた会社も辞めた。なにかを目標にしていたわけではなく、とにかく出来る限り自分を開いていきたかった。派遣社員としていろんな会社に行った。これもかなり貴重な経験だった。(余談だけれど、派遣社員って会社の中で働きながら実際は正社員ではないので、そのぶん会社を外から見られる所があって経験としてはかなり面白いと思う)

その後、結婚したりなんだりで、いろんなことでバタバタして、いつの間にか音楽活動も辞めてしまっていた。その後新たにイラストレーターの道を模索し始めた。

僕は時々考えて、立ち止まって消化しないと前に進めない。自分の中の未消化の部分、そういうものから目を逸らしていてもいつかぶち当たる時が来る。そしてその未消化の部分と、納得するまで向き合ってみる。

僕はまた表現について考え始めることになった。というか、考えられずにはいられなくなった。ここ数年、また音楽を作り始めた。

書き始めのテーマからずれていきそうなので、音楽等についてはひとまず置いておく。

この本に出会ってから、『自分の中に毒を持て』を始め、いろいろな著作を読み始めた。僕の20代の活動エネルギーはその中から得ていた気がする。

これを書き始めて、改めて『強く生きる言葉』を少し読んでみた。忘れかけていたものがそこにはあったので、また後頭部にハンマーを食らったようにガツンとやられてしまった。

一応書いておくけど、僕はまるっきり岡本太郎の言うことを信じる岡本太郎信者というわけではない。本をいろいろ読んでいて、自分はそう思わないという所もないわけじゃない。ただ、人間としてどう生きていくかはどう考えても岡本太郎に賛成である。そしてその生き方、考え方を自分なりにどう生かしていくかどうか。

たぶん、不器用だけれどガツンとした表現を持っている人に、僕は惹かれるんだと思う。岡本太郎は器用な人ではない。だけどまっすぐで力強い。

パートナーであった岡本敏子さんの書いた本で読んだことがある。岡本太郎は端から見ると強い人間に見えるが、本当は強い人間ではなかった。痛がりで、デリケートで、弱虫と呼んでもいいぐらいの人だったそうだ。だからこそ、自分で決意してあえて自分を奮いたたせ、世の中に挑んでいった。

そういうものにどうしても僕は惹かれてしまう。