高校生活の思い出すことなど

20191016

高校は工業高校に通っていた。電子や化学系の学科のクラスには女子が少数いたようだけど、僕は機械科でクラスはみんな男子だった。

今の時代はどうなんだか知らないけど、その当時は確かにヤンキーぽい奴が多かった。僕はもちろんヤンキーでも不良でもなかった。まぁ目立たない奴という感じ。

一年生の時にクラス中で一番いかつい奴に何か命令されたことがある。僕は若干反抗的にそれを断ったら、そいつが髪の毛をつかんできた。

小中学校で跆拳道(テコンドー)を習っていたが(ちなみに今有名なオリンピックのやつはWTFで、僕が習っていたのはITF。違う流派らしい)、全然争いを好まなかったし、反抗する気概もなかったので仕方なく従った。

思い出すと、殴ればよかったのかもしれないと思うことがある(もちろんよくない)。とにかく、その頃の僕はとにかく消極的だった。結局そいつは一年の終わりに退学していった。

高校ではヤンキーではない人たちと行動していた。昼は弁当を校舎のどこか裏あたりで地べたに座って三、四人で食べていたような気がする。

勉強はあまりしなかったが、高校生活は結構ゆるかった。特に勉強しなくても大丈夫だった。そして工業高校だけあって、旋盤、溶接 鋳造などの実習があった。

ガス溶接の実習で思い出すこと。

ガスボンベからトーチ(火が出る所)につながっている設備があって、交代でガス溶接の実習を行なっていく。そして僕の番は終わって、クラスの一人が作業を始めていた。

作業中にトーチを引っ張ったのか、ガスの圧なのかわからないが、突然ポンって音がして、ホースの根元がボンベから抜けてしまった。そしてガスボンベ・・・・・の先・・に引火してゴーッという音と共に青い火が吹き出した。慌てた先生がすぐさまボンベのハンドルを回してガスを止めた。

すべては数秒の出来事で、その時は何が起きたかわからなかった。その時の先生の慌てっぷりと、ボンベを止めた後、

「こういうこともあるんだねぇ」

という焦った顔と言葉からして、結構危険な出来事だったんじゃないかと思う。

物理の時間でのこと。

物理の先生は生徒の方をあまり見ないし、そうなると特に熱心にやる必要もない。ある日、あまり授業も聞かずにボーッとしていた。

すると隣の席のクラスメイトがニヤニヤしながら、

「聞く?」

と言いながらMDウォークマンを出してきたので、とくに授業を聞く気もないし、うん、と言って聴かせてもらった。十数曲入っていたと思うが、今となっては何の曲が入っていたのか覚えていない。ひとつだけはっきり覚えているのが、The Yellow Monkeyの『JAM』だった。

これは自分の聴くべき音楽だと直感した。それ以来、十代の後半以降はThe Yellow Monkeyに影響されることになった。

ある日の帰りに、いつも弁当を一緒に食べているクラスメイトがバイクを見せてくれるという話になった。そいつの家が学校の近くだったので、確か二、三人で学校帰りに見せてもらった。

古くて小さいオフロードのような、でもタイヤは太めでミッション付きのよくわからないバイクで、マフラーがいかれていた。マフラーがまともに機能していないので、芝刈り機三台分みたいな爆音がした。

僕は原付だけどミッション付きのバイクに普段から乗っていたので、運転させてくれることになった。その爆音バイクに乗って、近くの川べりの道を二人乗りで走った。爆音が目立つので少し気が引けたし、まったくスピードが出ないバイクだったけど、なんだか少し爽快だった。

しばらく乗って、エンジンを止めてバイクを押して歩いていたら、高校の先生が通りかかった。爆音バイクの二人乗りを見られなくて良かったと思って、何食わぬ顔で通り過ぎた。

今にして思えば、工業高校のゆるさは自分に合っていたのかもしれない。だけど、当時はとにかく早く卒業したかった。将来やりたいことも特になかったし、社会に出てどうなるかもまったくわからなかったけど、ここから早く出たいと思っていた。

ただとにかく、このままではいけないという焦りみたいなものが常にあったような気がする。もしかしたら、なんとか人生の手綱を掴むきっかけを手に入れたかったのかもしれない。

でも世の中がどうなっているのか、自分に何が起きているのかが、あまりにわからなかった。よくわからないままただ流れていくしかなかった。