夢の方が「本当」の現実に近かったりして

wind

ようやく治ってきたが、久しぶりに風邪をひいてしまった。うがい薬をいつからか使っているおかげか、しばらく風邪をひいていなかった。僕はいつも喉からくるので、鼻風邪というのは生まれて初めてかもしれない。鼻は思ったよりも無防備だった。

最近ではそんなに熱が出たこともないけど、子供の頃に熱が出たときにはなんとも説明できない嫌な夢をみた。

何か黒い塊のようなものが湧き上がってくるような、そして自分の体の中心をごっそり持っていかれるような感覚。物凄い音と圧力の黒い渦に呑み込まれるような、なんともいえない夢。でも、なんのためにそんな嫌な夢をみるんだろう。

最近はあまり夢を見ないけど、僕ははっきりと説明できる夢をほとんど見ない。大体はよく知らない場所にいる。知っている場所のようだけど知らない場所。知っている人のようだけど少し違う人。夢の設定も具体的に説明できない、わけのわからないものが多い。

たぶん僕の夢は感覚的な夢なんだろうと思う。感覚、感情のようなものが残るんだけど、それをぴったり当てはまる言葉にすることができない。見た夢を、うちの奥さんに説明しようとするんだけど、言っているそばからどうも違う気がしてしまう。

その点、うちの奥さんの夢はとてもシンプルらしい。昼間考えていたことがそのまま出てきたりするらしいので、そういうのはちょっとうらやましく思う。

夢には無意識が関わっているというけど、僕の夢は掴み所が難しい。だからその掴み所のない夢の感情を頼りに、自分の無意識を探ってみたりもする。

そうしてみると、どうも自分の中の奥に押し込めている感情が夢の中に出てくることが多いらしい。夢の中では抑制は効かないし、夢の中では自分にうそはつけないのだ。

逆に言えば、現実世界では自分を抑えることもあるし、無意識的に自分にうそをつくこともある。

そういう見方で見てみると、現実世界で生きる道しるべを夢が示してくれるということが大いにあると思う。自分の中の本当の気持ちと、抑制している部分を照らし合わせることができるわけだから。

熱があるときの夢はどうなんだろう。その黒い渦のような夢は人間の無意識の中の宇宙のような、見てはいけないダークサイドの部分だったりするんだろうか。熱のあるときだけ抑制が外れて、その片鱗に触れることができる…とか。

以前ブラタモリの比叡山の回で、お坊さんがお経を唱えながらお堂の中をぐるぐる回るという修行を三ヶ月やるというのを見て、なんのためにこんなことをやるんだろうと思ったんだけど、もしかしたら人間の思考の枠組みを外すっていうことが大きいのかもしれない。

お坊さんの悟りはダークサイドと違うかもしれないけど、人間が普段は見ることの出来ないものを見ようとするということが共通するとしたら、夢の中ではすごいことが起こっているんじゃないだろうか。もしかしたら夢の方が「本当」の現実に近かったりして…。

人間の固定観念は大人になるにつれて強固になっていくので、子供が大人の視点では見えない物が見えるというのは納得がいく。夢の中で子供になれるわけではないけど。

絵を描く練習で、逆さまにしたものを描くということをやったことがあるけど、これも人間の思考の枠組みを外す練習ということなんだろう。

人間は固定観念に縛られて生きている。固定観念なしには生きられないけど、縛られすぎれば窮屈だ。外しすぎればわけがわからなくなる。やっぱりバランスが難しい。

だから僕らは夢と現実を行ったり来たりするのかなと思ったりもする。