自信があるからやっているわけじゃない

20200225

何かが得意だからそれをやっているわけじゃなくて、それが自分になんとか出来ることだからやっている、と思うことがある。実際、僕は絵を描くことが自分は得意だとは思っていないし、音楽をやるのも得意だからやっているわけじゃない。

何かを作るということは、自信がある部分はもちろんあるけど、コンプレックスと表裏一体な所があると思う。とにかく自信があって、自分の作るものは頭の上からつま先まですばらしい、と思ってやっている人は実際少ないんじゃないかと思う。

僕は自分のやり方で自分の絵を描くことは出来るが、決して絵が上手くはない。別に自分を卑下しているとか諦めているわけじゃなくて、実際に上手くはないと思っている。僕はいろいろ器用にできるタイプではないし、別の言い方をすれば、絵を描くことにコンプレックスがある。

好きだからやっている、というのはもちろんある。だけど、本気でやるならばこそ苦しいということもある。何かを作るということは、つまずくことの連続だ。試して、失敗して、改善して、の繰り返し。当然自信を失うことはしょっちゅうだ。

岡本太郎は自分のことを「自信に満ちて見えると言われるけど、僕自身は自分を終始、落ち込ませているんだ。」と言っていた。自信というのは、他人と比べて自分が上かどうかということなので、そこを目指すのは卑しいのだと言う。

自分より上の人間なんて腐るほどいるから、他人より上かどうかの自信であったなら、絶対にいつかは崩壊する運命だろう。形あるものは必ず壊れる。

だからなぜ自分はそれをやっているかが大事なんだろう。それにはいろんな要素があるけど、やらずにはいられなくなったからやるというのは大きいような気がする。

僕の場合は、何かを始めてからだんだんと自分の中で意味が大きくなっていったことが多い。でも始めから自分のやりたいこと、やるべきだと思うことがわかっている人は少ないだろうから、それはそれで良いのかなとも思う。

やるべきことが早いうちからわかっていて、それに迷わず突き進める人を天才と呼ぶのかもしれない。でも回り道だって全然いいじゃないと僕は思う。負け惜しみじゃなく。いろんな回り道をしたからこそ見える景色もある。それぞれの人の、それぞれの味わいがある。

最近、どうしても考えようとすると頭が回らなくなることがあって、自分の中で何かが引っかかっているような感覚があった。いったい何が引っかかっているのか、考えようとしても頭の中で回避しようとしているのがわかる。でも回避するのを自分の意志ではやめられない。

何日も何だろう?と考えるんだけど、なぜだかまったく掴めなかった。でも、文章を書きながら考えた結果でもあるかもしれないけど、僕は世の中との向き合い方を考えざるを得ない時期にかかっていいるんだと、ある時に突然ハッと思った。

なぜ世の中となのかと言うと、自分の作るものには絶対にその視点が反映されるからだ。そこの立ち位置が自分の中で曖昧だった部分があるので、ずっとモヤモヤしていたのだ。

できることなら考えたくないことは、誰だって考えたくない。そこには見たくないものがあるかもしれないから。でも、少しきっかけが掴めた気がするので、後は焦らないで考えたい。そういうのって焦ると引っ込んだりするものだし。

そういうことを思うたびに、ある種の使命感というか、運命的な感覚が強くなっていくような気がする。大げさに聞こえるかもしれないけど。そうとしか言えない、今は。