こんな時は何をすればいいんだろう。僕自身はこれからのことも考えながら日々を送っているけど、自分の作るべきだと思うものを少しずつ作っていくしかない。これはコロナウイルスがあろうとなかろうと、変わらずやっていくしかない。
でも、これだけ大きなことになってくれば心境にも変化はあるし、状況にも変化が出て来る。だけど自分にとって大事なことは見失わないようにしたい。大事なことはそんなに多くはない。
もしなにか不安やイライラがあるとしたら、一体なにが問題なのか、自分が今見えていないものは何かを考えてみる。焦りが「今そんなことをやっている場合か」と急き立ててくる。
ひとつのことをやっていると、行き詰まることがある。そういう時は、そのやっていることから少し距離や時間を置いてみて、また戻ってみたときに、やるべきことが見えて来ることがある。
どうしても考えてしまって、距離を置くのが難しい時は別のことをやってみる。するとどうしても頭は別のことに持っていかれるから、自然と距離を置くことができる。人の頭には、進むべき時と退くべき時があるみたいだ。
集中して進む時は頭の中の枠組みがぐっと引き締まっていく、退く時は枠組みが広がって視野も広がっていく。その繰り返しでしか人は進めないのかもしれない。そして常に全てが見えている人なんてどこにもいない。
ところで、ずっと気になっていたミヒャエル・エンデの『モモ』を寝る前に少しずつ読んでいる。児童文学とはいっても、すごく面白い。
大人たちが時間を節約するように時間どろぼうから言われ、時間を節約すればするほど時間がなくなっていくっていう本末転倒な話。現代そのまんまな気がしてちょっと笑えない気もする。そして登場人物の言葉や行動が、今の状況とも関わりがあるように思える。時間どろぼうというのは、世の中にあふれる情報でもあるような気がする。
なんというか、人間というものをもっと知らないといけないという気にさせてくれる。今の状況だって、人間にとっては脅威かもしれないが、世の中がストップしているおかげで空気はきれいになっているから地球にとっては良いことなのかもしれない。
人間の世の中の問題は人間のあり方の問題なんだろうなとも思う。最近は世の中の目に見えない部分は切り落とされてしまって、具体的で目に見えるものにどんどん変換されていってるような気もする。その切り落とされた方に、大事なことが入っていたりするかもしれないのに。
この先どんなことが待ち受けているかわからないし、たぶん世の中は良くも悪くも変わっていくだろうけど、なんとか生きていかなきゃならない。単純に昔に戻ればいいわけじゃなく、これからのあり方を模索しないといけない。
『モモ』に出て来る大人たちのように、頭で考えることにとらわれて大事なものを見失わないようにしたい。