公園のベンチに座って、人が歩いていくのをなんとなく眺めているのは割と好きだ。散歩をしている人たちは大抵は穏やかに歩いているからだ。
歩いている人たちの会話が少し聞こえてくることもたまにある。この前得た情報は、「ウーバーイーツは汁物に弱い」ということだった。特に使わないけど。
たまにうるさい人たちもいるけど、公園は人を穏やかにさせるんだろう。犬の散歩をしている人も多い。
猫の散歩をしているひとはまず居ないから、犬の散歩をつい見てしまうわけだけど、犬を大事にしている人は犬の表情を見てもわかる。飼い主と良い関係の犬は顔も穏やかで少し笑顔になっている。なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
犬が立ち止まってしまって動かないのをなんとか説得している人を見るのも、なんだか微笑ましい。犬は動きたくないんだな、それなら仕方がない。
中には犬が立ち止まるたびに、犬の方も見もしないでやたらに引っ張っている飼い主もいる。仕方ないから機械的に散歩しているという感じ。そういう人の犬は少し怯えて硬い表情をしている。そういうのを見るのは心が痛む。
いつだったか、憎々しげに、まるで鞭を叩くようにリードを引っ張っている女性を見たことがある。遠くに見えたけど、しばらく何をしているのかわからなかった。
よく見たら明らかにリードをバシバシ引っ張っていた。犬はもちろん言うことを聞かず、完全に怯えきった感じになっていた。見ているだけで何も出来ない自分が悲しくなってきた。そういう飼い主はなんとかできないものだろうか。
人間の世界は理不尽で不平等だけど、犬の世界も理不尽で不平等だ。自分が犬に生まれたとしたら、どうせだったら可愛がられたい。
僕は犬を大事にしている人を見るのが好きなんだな、と改めて思った。犬を飼ったことはないけど、そういう光景を見ているとなんだか気分が良くなる。
人間と同じで、動物は無理やりコントロールされると反発する。やっぱり飼い主と犬も、良い関係を築けるかどうかなんだなと思った。良い飼い主は犬の方をちゃんと見ている。そして犬も飼い主をちゃんと見ている。
これっていろんなことにつながる気がする。人間関係でもそうだし、自分に対してもそうだ。自分は自分にとって大事なものをちゃんと見ているだろうか。
人や自分を機械的に扱っていないだろうか。心を失えば機械になる。人も犬も機械的に扱えば自分は魂を失った機械になる。機械に飼われる犬はかわいそうだ。