ブログを始めたことについて

cat and dog

ブログを始めたことについて、ブログを通して何かしらのつながりや、活動に広がりが生まれるかもしれないと思ったことが動機のひとつである。しかし、やっぱりブログを書き続けることによって自分自身の意識の変化があるだろうと思ったことが大きい。

意識の変化と言っても、具体的にどこがどう変わるかはわからない。おそらく具体的には言うことのできない領域が変わってくることが大きいだろうと思う(人に言えない秘密のことという意味ではなく)。

自分の考えていることを外に向かって書くということは、ただ自分の中で考えているだけとは頭の使い方が変わってくる。現に、ブログを書き出して間もないけど、何本か書いてみた後は最近感じたことのない種類の疲労感があった。それが原因かどうかわからないが、奇妙な夢を何日か続けて見ることになった。

ある程度の負荷なくしては変化は訪れないだろう。とにかく思ったことを外に向かって書き出してみることで頭の中も整理され、それに伴い自分の思わぬところに変化が訪れるかもしれないと考えている。もしかしたら、なにか自分の中に蓋をされていたものが開くことがあるかもしれない。

ただ、僕には最近のブログみたいなスタイルでは書けないだろうと思ったので、古臭いスタイルかもしれないが朴訥でもいいから自分なりのブログを作ってみようと思ったのだ。そして僕は朴訥な表現をする人が好きだ。

ブログを書いていく上で、どうしても自分の弱い部分と向き合わざるを得なくなる。自分の弱い部分と向き合うということは普段の生活でも大事なことだろうと思うが、なかなか立ち止まらなければ意識して考えるのは難しい。

どこかのインタビューで読んだが、アメリカ人のミュージシャンのジョン・グラントが(今年3月の東京キネマ倶楽部でのライブは最高だった!)、表現する上でステージ上で自分の弱い部分をさらけ出せるようになってきた、ということを言っていた。

何かを外に向かって表現するということは、逆に自分と向き合う作業も必要であるということだ。時にはそれはとても辛いことでもある。自分に正直に向き合うということは、変えようのない自分自身にぶつかるということでもあるからだ。

もちろん、いつもいつも自分と向き合っていたら疲弊してしまうだろうし、弱い部分をとにかくさらけ出せば良いというわけでもないが、生きて行く上で何かしら「おかしいぞ?」と思う時や、どうも上手くいかない、という時は自分と向き合う必要が出てきた時なのかなと思っている。

何年か前から、ヨガのDVDを見ながら15分だけヨガのまねごとをする(ちゃんとは出来てないと思う)ということをやっているんだけど、調子がよくなっている時はそれがほぼ毎日続けられる。

ところが仕事が忙しかったり、気にかかること、早くやってしまいたいことなどを抱えているとき、そういう焦りがある時はやらない期間が続いてしまう。今日はいいか、やることもあるし、面倒くさいな、と思うと一日やらなくなり、二日、三日、一週間…と、どんどんやらない期間が続いてしまう。

15分だけのまねごととは言え、ヨガをやるのは体も頭もスッキリする。やれば調子が良くなるということは頭ではわかっているのに、焦りのスパイラルに入ると、そんなことやってる場合じゃないなと思ってしまう。これも弱さのひとつなんだろう。

そんなことをやってる場合じゃないな、と思って焦っている時こそ、それをやるべきなのかもしれない、ということを思ったりする。ブログなんて時間の無駄かもしれないとも思うこともある。でも、きっと自分自身に何かしら影響はあるだろう。大丈夫。

意識の変化というものは何かを表現する者にはとても大事なことだと思う。僕はそこでも自分に嘘をつかないことに決めた。どんなに人から馬鹿みたい見えようとも、そう、僕はやっぱり何かしらの表現がしたかったのだ。ブログを始めたのもその一環だ。

もう少し役に立つブログをやればよかったんだろうけど、残念ながら僕は役に立たないことも好きだ。そして役に立たないことも大いに必要だと思っている。