いつかは山を降りる

get off the mountain

久しぶりの投稿になってしまった。

しばらく文章を書くまいと心に決めたわけでもなく、ただ書くことができなった。いろいろと忙しかったこともあるし、じっくり向き合わなければいけないこともいろいろとあった。単純にちょっと疲れたりもしていた。

岡本太郎は人間の精神は外に向かって開くときと、内側に閉じこもるときがあると言っていた。その通りだと思う。どちらが良いというものでもない。

最近は、とにかく表に向かって開くことが良いことで、内にこもることは無条件で悪いことである、という風潮もあるけど、僕はそうは思わない。内にこもってじっくり考えるからこそ、外に向かって大いに開くことができる。

内にこもるということは休むこと、考えることだ。常に前向きで明るくいなければならないという常識があるために、休むことや一人で考えることに罪悪感を持ったりするんじゃないだろうか。一人で自分と向き合って考えることは生きていくためには絶対に必要なことだ。もちろん、一人で悶々と考えて堂々めぐりをしてしまうときは、人の力を借りなければいけないときもあるだろうけど。

ところで、最近は世の中がなるべく考えないように出来てきているような気もする。中川家の剛さんが(中川家が大好きなんです)、最近はパッとみてわかるものじゃないと受け入れられないとYouTubeで言っていた。テレビもお笑いも面白いとか面白くないではなくて、パッとみてわかりやすいものが受け入れられる傾向にあるらしい。何かを考えさせるもの、考えなければわからないものは受け入れられにくいと言う。

ネットでもテレビでも街中でも、目につくものはいかに人々の気を引くかばっかりになっているような気がするので、うんざりしてしまうことがある。わかりやすいことが悪いことだとは思わないけど、あまりに浅はかじゃないか?と思うことも多い。

広告効果ということで言えばそれはそれで正解なのかもしれないけど、なんだかなあと思う。ネット上でもこれでもかと気を引こうとしている情報が溢れているので、最近はあまり見ないようにしていた。SNSなどもこの2ヶ月ぐらいほとんど見なかった。

だけど山にこもったら、いつかは山を降りなくちゃいけない。またすこしずつアウトプットしていきたいと思うようになってきた。うんざりばかりもしていられないし、やることもやらなくちゃいけない。

コロナウイルスにもうんざりさせられるけど、今年一年で世の中が変わってきているので、それはそれで悪くない気もする。

それは良い部分もあるし、相変わらず悪い部分もある。世の中が動くということは、自分自身も変わるチャンスがあるということだ。

コロナで内にこもった分、外にひらくことができると思っている。