パソコンやスマホ(今更だけど、スマホって間抜けな響きですよね)を使っていると避けられないのがソフトウェアや端末の更新だけど、そういうのに追われる頻度が昔より多くなっている気がする。
僕が使っているのはMacとiPhoneで、なんというかアップル一色だけど、端末とOS、ソフトの関係にはいつも頭を悩ませられる。端末と対応するOS、OSとそれに対応するソフト、さらにプラグインも考えるとなかなか面倒臭い。使うソフトが増えるほど面倒だ。
常に更新して最新のものを使えればいいけれど、お金もかかるのでそうもいかない。だから時期を見計って更新し、すべてのバランスがちょうどいいところに落ち着くわけだけど、なかなかタイミングが難しい。ところで、古いバージョンをどんどん切り捨てていく最近の傾向は嫌だな。
最近では5年半ぐらい使ってきたiPhone 6が、いろいろ動作に問題が出てきたのでさすがに機種変更することにした。
僕は新し物好きというわけではないし、物に対しては結構実用主義だ(こだわりはある)。だけどスマートフォンが普及する前の携帯電話って2年ごとに機種変更するのが常識みたいになっていて、自分もなんとなく2、3年に1回は機種変更していた。
そう考えると、1台を長く使えるようになったのは良いことなのかもしれない。5年半が長いのかどうかはわからないけど。
だけど、使い捨てのように携帯電話を機種変更していた時代と比べてゴミは減ってるんだろうか?そういえば「使い捨て」って言葉も昔ほど流行らなくなっているような気もする。
昔はあんまり考えなかったけど、最近では1つのものをなるべく長く使いたいと思うようになってきた。時代の流れもあるけど、僕にはどちらかというとピカピカの新製品ということよりも、長い時間に耐えられるということが重要に思える。
今うちにあるもので一番古いものは1978年製のテレキャスターというギターだ。種類が違うのでもちろん単純に比較はできないが、パソコンなんかは10年経てばもう古くてあまり使えなくなってくるけど、楽器は古い方が音が良かったりするから不思議だ。
今は時間の隙間を埋めていく時代なので、長い時間というのは流行らないのかもしれない。効率よくというメッセージも溢れているし、新しいものが次々と出てくるので、作る側も使う側もどんどん時間が細切れになっていく。スマートフォンも時間を細切れにするので気をつけないといけない。
僕は人より考えるのに時間がかかる方だけど、それでも人間ってある程度時間をかけないと物事ってわからないと思う。長い時間が大事なのは、物事を味わうという人間の感覚に関わってくるからだ。そういう長い時間を切り捨てていくのって、あんまり良くないんじゃないかなと思ったりする。
そういうことを考えていると、『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる主人公の叔父さんの言葉が頭に浮かんでくる。こういう時代だからこそ、長い時間をなるべく意識していくのがいいのかもしれない。
「だとすれば、何かがはっきりとわかるまで、自分の目でものを見る訓練をした方がいいと思う。時間をかけることを恐れてはいけないよ。たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」
『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹