私の村上春樹クロニクル 第1部

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20代前半までまともに本を読んだことがなかった。

僕が始めて読破した小説は村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』だった。たぶん24歳の時。書きながら思ったけど、岡本太郎の本に出会ったのも24歳だし、24歳が僕のひとつの転換点になっている気がする。

『ねじまき鳥クロニクル』を読んだきっかけは、たしかレディオヘッドだったと思う。(2003年サマーソニックのレディオヘッドは最高だった!今思えば24歳の年は特別だった)アルバム『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』 のライナーノーツの中で、レディオヘッドのボーカルのトム・ヨークが『ねじまき鳥クロニクル』について語っているのが書かれていたのがきっかけだったと記憶している。

当時小説なんかには全く疎くて、村上春樹という名前はなんとなく聞いたことはあるけどほとんど知らなかった。だからまあ、ちょっと読んでみようと思って買ったんだったと思う。たしか。

そうしたらもう面白くて、すっかり村上春樹のファンになってしまった。他の本も次々と買って読んだ。なんというか、自分が考えたいことがそこに書かれているような気がした。

でも、最初に読んだ時に、自分はすごく面白く感じるけど、こんな風に考える人は世間ではあまり好かれないだろうな、と思ったことを覚えている。僕はそれまでそういう小説や本に触れてこなかったので、内面的な描写や深い表現は、人から嫌がられることだと思っていた(こんな小説を書いたり、読んで喜んでるやつは自分も含めて変態なんじゃないか、とちょっとは思ったかもしれない)。そういう世界があるのを知らなかった。はっきり言って世間知らずだった。そんな感覚だったので、失礼ながらそんなに売れている作家だなんて思いもつかなかった。

その後いろいろ調べてみると、かなりの有名人ということを発見して、自分がいかに世の中を知らない遅れた存在なのかを実感した。そしてしばらくして、自分の中での村上春樹の小説の主人公像と、周りや世間で言われる主人公像が少し違っていたのに気づいた。

僕の中での村上春樹の小説の主人公は、地味で無口で、他人から見ると特にパッとしない、実直に我が道を行くタイプのように感じていた。

だけど、村上春樹の小説を読んだことのある人の話や、ネットなどでの感想を見ると、主人公はクールで、都会的で、キザ、女性にモテる、シティボーイ、などの意見をちらほら見たので、本当に驚いた。そういう見方になるのか、と。まったくそういう見方で読んだことがなかった。人によって見えている世界は違うんだなと改めて思った。

『ねじまき鳥クロニクル』は初めて読んだ小説にして、一番繰り返し読んだ小説だと思う。文庫の背表紙の持つ部分が白く磨り減っている。その頃はよく、ベックの『シー・チェンジ』を聞きながら、近所のドトールで読んでいた。今思えば、その時期はいろんなことをやろうと思う反面、結構落ち込んでいた時期なのかもしれない。落ち込んでいたというか、深いところに沈み込んでいたような気もする。

そして、なぜそんなにこの小説にはまってしまったかと思うと、この小説は自分の内面を深く掘り下げていくことを教えてくれた、ということがすごく大きいと思う。すごく重層的に書かれているし、簡単には理解できない。理解しきれない、という所がすごく大きい。自分自身の内面だって簡単に理解できない。

トム・ヨークはこの本を例に挙げて、ムラカミの本のテーマはダークな力について書かれている、とインタビューで言っていたらしい。人にとり憑いて内面から悪に変えてしまうダークフォースを描いていると。

僕もその辺の見方は正しいと思っている。村上春樹の本は人間の内面を主体にして、それを掘り起こして書いてあると思う。それが小説の中でいろいろな形をとって現れている、そんな感じがする。

ダークな力というのは、誰でも持っているものなんじゃないかと僕は思っている。そのダークな力をいかに消化し、いかに良い方向に持っていけるか、というのが人間の成長に関わっているような気がしている。そして気を付けないと、人は自分でも気がつかない間にダークな力に飲み込まれてしまうのだ。

この本に10代の時に出会えてたらなと思ったこともあるけど、20代でも出会えて良かったんだ、と今は思える。ダグラス・クープランドの『ジェネレーションX』に書いてある二十歳代中期挫折(改めて自分と社会との関係性を意識する時期、のような)が自分にあったとするならば、間違いなく支えになってくれた小説だと思う。

『ねじまき鳥クロニクル』は僕の中で未だに一番好きな小説である。

(第1部とタイトルに書いたけど、第2部があるかどうかはわからない)